月○○○様
 このところの私の日課と言えば、自分の中に沸き起こる感情をすべて感じ尽くすこと、だ。もちろん教えたり、人と話したり、テレビを見たり・・・ということもするけれど、私に課された最も大切なことと言えば、この"感じ尽くす"ことである。何と言ってもそうしている時が一番充実感がある。
 感じ尽くすことはときには楽しかったり、幸せだったり、せつなかったりもするが、不快だったり、もどかしかったり、吐き気がしたりするときもある。でも不快な感情でもともかく感じ尽くしていると、そこから別の何かが生まれるものだ。
 夕べ出てきた感情はかなり私を戸惑わせた。それは"あなたを愛していない"という感覚だった。それは私にとって大変意外なことだった。なぜならこれまでのすべてのいきさつから言って、私があなたを愛していないことなど、あり得ないことのように思われたからだ。けれどもそれでも逃げずに注意深く感じてみると、それこそが私が最も避けたがっている感覚であることがわかってきた。私は"あなたを愛していない"という感覚に陥りたくないためにあらゆる努力をしてきたように思われた。
 私にとって最も幸せなときは、あなたを愛していると感じるときだ。あなたがそばにいなくても、振り向いてくれなくても、あなたを愛していると実感できさえすれば私は幸せだった。たとえあなたがそばにいてくれたとしても、そのことが"あなたを愛していない"という最も空しい感覚を惹き起こすとしたら、それは私にとってぞっとするほど嫌なことなのだ。
 私は"あなたを愛していない"という、最も嫌悪する感覚の中に敢えてとどまってみた。あなたを愛していない? それもいいじゃないか・・・そうするうちに私はその感覚の中でくつろぐことができるようになった。私は"あなたを愛していない自分"を受け入れた。
 今までの私は、なんとかして自分があなたを愛していることを証明しようとしていたのだろうか。それは無駄なことだった。そんなこと証明できるはずがない。私があなたを愛しているのかどうか、自分にすらわからないのだから。愛しているかいないかなど、どうでもいいことではないか。
 結局のところ、私にできることと言えば、ただ"わからない"こと自体を信頼し、その中で冒険を続けることだけなのだ。
 
     10月10日

                     塩田今日子

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