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男性性の解放について

今、求められているのは男性性の解放である。

ここで男性性と言うのは、平たく言えば男性の性欲のことだ。男性の性欲ほど堪え難いものはない。結構な肩書きのある男性が、ニュース沙汰になるほどの破廉恥行為に走ってしまうのも、戦場の多くの兵士たちが慰安所にひしめくのも、まさにその堪え難さのせいである。もちろん慰安所の女性を蹂躙することは許されることではないが、非難されるべきはそのような事態を引き起こした戦争であって、明日死ぬかもしれない健康な若者が、自分を苦しめる性欲から一瞬でも解放されたいと願うことではない。

自分たちの性欲がどれほど堪え難いものであるか、声高に語る男性は多くない。おそらくそれは男性が、自分たちの最大の弱みを女性に握られたくないからである。だから彼らはそれを制御することに腐心する。しかしいくら上手に制御したところで、隠されたストレスは消えることはない。だから基本的に男性は女性よりも生きづらい存在なのである。

こんなことを女性である私が書くことに違和感を覚える人もいるだろう。私は人生のある時期、ある特別な理由によって、自分がまさに男性であるかのような感覚にさせられたことがある。だからここに書いていることは自分の経験に基づいたものである。それは本当に衝撃的な、恐ろしい体験であった。世の女性たちも一度でもあのような体験をしたら、性犯罪を犯す男性たちをただ一方的に非難することは躊躇うのではないか。

抑圧された男性エネルギーは、行き場を失って出口を探し求める。それは出世欲、金銭欲、支配欲、破壊欲、暴力、戦争などに変容して、世の中に害悪を撒き散らす。表面的には紳士的で品行方正な男性ほど抑圧されているエネルギーは大きい。彼らは見かけ上個人的には善人なのかもしれないが、そのエネルギーは間違いなく世界のどこかの暴力と繋がっている。人のエネルギーというものは個体を超えて他者にも影響を及ぼすからである。

このように言うと、男性の性欲はただの厄介者のように思われるかもしれないが、決してそうではない。この暴力的な男性エネルギーは、彼を真に解放することができる女性と出会って全開すれば、まぎれもない「愛」に変容するからである。それはその女性に無常の幸せと歓びをもたらすだけでなく、世の中全体をも愛で満たすことになる。自分を全解放できる歓びを知った男性は、間違いなくその幸せを世の中に還元したいと思い始めるからである。道徳や倫理的な理由からではなく、心の底から、世の中の全ての人の幸せを願うようになるのである。

つまり、今求められているのは、抑圧された男性エネルギーの正しい解放なのである。しかしそれは容易なことではない。なぜなら、このような男性エネルギーの真の解放をもたらす出会いは、男女双方にとって大変な恐怖を伴うものであるからである。

男性は常に自分のエネルギーを制御することを強いられて生きてきた。だから、制御自体を外すことに非常な抵抗を示す。自分が無防備になって、相手に支配されてしまうことを恐れるのである。無防備になるには、相手に対する完璧な信頼が不可欠なのだが、「信頼」こそ、人間が最も苦手とすることだからだ。それで自分を解放してれるはずの大切な女性をむしろ敵視してしまったりする。それは女性にとっても地獄の始まりを意味する。自分を本当に必要とする男性と出会ってしまった女性もまた、彼を真に救うこと切望するようになり、彼の男性エネルギーが必要不可欠になってしまうからである。男性が自分のエネルギーを解放したい欲求を抑えれば、女性また甚だしいエネルギーの枯渇に苦しむことになる。それはエネルギーを発散したい男性の欲求とは違うが、それに劣らず、あるいはそれ以上に堪え難いものなのである。なぜなら、女性一人ではどうしようもないことだからである。このことを理解しない男性はとても多い。自分が欲求を我慢することによって、自分にとって本当に大切な存在であるはずの女性を死ぬほど苦しめていることをわかってほしい。結婚寸前まで行って破局したいくつかの有名人カップルの女性が激痩せしたのはまさにこのせいである。

一部の勇敢で正直な男性たち(ほとんどの場合、両親が互いを愛し合う良好な関係にある)はこのような女性から逃げずに向き合うことを選ぶ。そのようなカップルはまだお互いを完全に解放するまでには至っていないけれども、少しずつお互いへの信頼を深めていきつつある。このようなカップルは時代がどのように変化しようとも、二人でそれを乗り切っていくことができるだろう。しかし、そこから逃げてしまって守りに入った人々には、時代の変化に翻弄され、苦しみに必死で耐え続けなければならない未来が待ち受けている。

女性にもまた、乗り越えなければならない恐怖がある。女性は自分を本当に必要としている男性のエネルギーを受け入れるとき、恐怖からどうしても抵抗してしまいがちになる。それは幸せが強烈すぎて耐え難いからである。だから、「どうかもう勘弁して」とか、「許して」と叫んでしまったりするのである。しかし男性がそれを「思いやって」途中でやめてしまったら、女性は拒否されたと感じて絶望してしまうだろう。女性も心の奥底では、愛する男性に、死ぬほど、気が狂うほど愛されたい、破壊し尽くされたいと切望しているからである。だから、男性が愛する女性を虐め抜きたいとか、彼女が悶え苦しむ姿が見たいなどと思うのは、決しておかしなことではない。ひょっとしたら男性は相手を殺してしまいたいという欲求に駆られるかもしれないが、それとて悪いことではない。このようなエネルギーの交流は間違いなくお互いの殻を破る行為で、それは「自分であると信じているもの(ego)」の死を意味するからである。このようなときは、男性は自分の欲求を完全に肯定しなければならない。「殺してはいけない」と自分を抑えてエネルギーを放出したら、逆に本当に殺してしまうかもしれないからだ。しかし、自分を肯定し、完全に許してエネルギーを解放すれば、間違いなくegoだけを殺すことができる。だから男性が自分のエネルギーを完全に解放するときは、「相手を思いやる」のではなく「究極の独りよがり」を貫かなければならない。これは見方によっては非常に誤解されやすい表現だが、愛し合う二人が本当に自分たちをegoから解放して新たな次元に旅立つためにとても重要なことである。

世の中のすべての男性が性欲の苦しみから解放されて、すべての人が幸せになることを心から願う。

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苦しむ顔が見たかった

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