Date: Fri, 11 Jan 2002 12:53:40 +0900
To: o
Subject: Re: なんだか不安でたまりません。

 不安だとか、不安定だとかいうのは、悪いことではないと思います。つまり何か変化が起きる兆し、ということですから。物事が安定していては、何も変化は起こりませんよね。それは気楽かもしれませんが、悲しみや不幸を抱えたまま安定してしまうのは、いいことではありません。
 私の人生についても、話したことがあると思いますが、私も離婚する前はものすごく不安定で不安でした。何が起こるかわからなかったのですから。でも、自分でできることをやり尽くして、本当に行き詰まっていたので、一か八か、どうにでもなれ、といった変な勇気はありました。
 結果的に、私の離婚は人生を激変させましたが、でも、とても貴重な、素晴らしい体験だったと今では思います。私の家族もそれぞれに幸せを見つけているし、自分も、少なくとも、自分を偽らずに正直に生きているという点で、前よりもはるかに幸せです。それからいろいろな人に勇気をあげたりすることもできるようになりました。これは本当に素敵なことだと思います。自分がつらい経験をしたことのない人は、どう頑張っても、悩んでいる人の本当の助けにはなれませんから。
 今にして思えば、あの頃何であんなに不安がったのだろう、と思う程ですが、あのときはこんなふうになるとは夢にも思わなかったので、それはそれで仕方がなかったと思います。
 大事なことは、どんなときでも、自分を偽らないことです。人はいつも、こうするべきだ、とか、こうするのが他人に対する思いやりだ、とか言い訳しながら、自分を偽ることを正当化することが多いけれど、それが一番いけないことなのです。そういう生き方は結局は自分も他人も不幸にしてしまいます。あなたが、彼がオンニと仲良くするのを見るのがつらいのなら、その気持ちに対して正直になりなさい。

 本当に縁のあるふたりなら、必ず引力が働きます。だから自然にしていればうまく行くのです。けれども実は、この「自然」というのがくせものです。
 「自然にうまく行く」といわれると、人は「自分は何もしなくていい」あるいは、「自分は何もしてはいけない」と考えてしまいがちです。特に怒りや嫉妬といった、否定的な感情が沸き上がると、人はそれを「自然」だと受け止めることがなかなかできません。怒りたければ怒るのが自然なのに、「本当に縁があるなら、自分が何もしなくても、必ずうまく行くはずだ」と自分に言い聞かせながら、怒りを抑えてしまったりします。怒ることで自分や他人を傷つけることを恐れて・・・ それは明らかに自然なやり方ではありません。そうすることでは、物事はうまく行きません。自然に生きるというのは、自分を守ることではないのです。むしろ、自分の中に沸き起こるすべての感情を肯定して、勇気を持って行動することです。それは決して安易な生き方ではありません。
 イエスはとても自然に生きていました。彼はものすごく勇気がある人だった、と思いませんか。当時のあらゆる因習を打破し続けたのですから。因習に従って生きる方がはるかに楽な生き方だったはずです。でもそれは自然な生き方ではないのです。自然な生き方というのは、いわば、自分を信じて突き進む冒険そのものなのです。

 私たちを取り巻くエネルギーは、今、明らかによい方向に進んでいます。嘘で固めたものは突き崩され、因習に従って生きることが、必ずしも楽ではなくなり、むしろ自分の首を絞めるようになってきています。代わりに、正直で個性のある人が力をつけてきています。でも、その流れに乗るためには、自分もまた正直である勇気を持ち続けなければなりません。

 あなたを取り巻くすべての力があなたの味方をしてくれるはずですよ。あなたが自分に正直でありさえすれば・・・

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