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韓国遊学記(5)

慧元の話によれば…

ある人が---後で分かったことだが、それは慧元の師のことだった。だから40年近く前のことだろうか---高校入試に失敗し、恥ずかしくてとても家に帰れない、と思っていると、たまたまその町に道士が来たという噂を聞いた。何でも、普段は俗離山に住んでいるのだが、ときどきそこに住む母親に会いに来ると言う。

彼がそのうちの近くまで行ってみると、確かに道士のような男が、林の中にいた。その男の様子を観察していると、一抱えもあるような木を腕で抱えてヨイッと引き抜いているではないか。あんな太い木が素手で抜けるものなのか?

彼はその男が立ち去った後、実際に自分でやってみた。もちろん抜けるわけがない。それで、道士が抜いた木よりも遙かに細い木を抜いてみようとしたが、手の皮が擦りむけてしまうだけで、びくともしなかった。

彼は、強くなりたくて、是非ともその道士に弟子入りしたいと思った。それで彼の母親の家に行ってみるのだが、もちろん道士が簡単に受け入れてくれるわけがない。それで彼は、よくある話のように、その家の前で一晩中粘った。

その甲斐あって、朝になると、道士がなんと、「一緒に山に行ってみるか。」と言ってくれた。「ただし、私は足が速いから、先に歩いていろ。」

俗離山に向かう道は一本道であった。彼は一生懸命歩いたが、いくら後ろを振り返っても、ちっとも道士は現れない。さては、騙されたか、と思っていると、前方に見える店の前で、道士が待っていた。

「随分遅かったじゃないか。」

彼は一体何が起きたのか理解できなかった。道士はきっとバスに乗ってきたに違いない。道士がまた先に行けと言うので、彼は再び歩き出した。今度は、バスに抜かれないかどうか、注意深く見ていた。けれどもバスは一台も通らなかった。
彼がへとへとになりながら必死で歩いて行くと、またしても、道士が先で待っていた。
「遅いじゃないか。」

??

彼らが俗離山の麓に着いたとき、すべての謎は明かされた。道士は彼の手のひらに呪文のようなものを書き、彼の手をしっかり握って、目をつぶっているように言った。次の瞬間、彼らは俗離山の頂上付近にいた。

そこには、多くの仙人が住んでいて、毎日武術の練習をしながら暮らしていた。彼らの年齢は○百才? 彼は、そこにつくと、丸薬のようなものを飲まされ、下界で食べてきた物を全部吐かされた。「お前は犬の肉を食べたことがあるか。」「ありません。」
(この会話は長い間私を悩ませた。私はてっきり、犬の肉を食べたことがある人は悟れないという意味なのかと思っていた。私は1984年に中国のハルピンで犬の肉を食べたことがあったので。後で確かめたら、どうもそういう意味ではないらしかった。)

それから彼は木の上で眠る修行など、いろいろな修行をさせられた。その中には、慧元が教えてくれた丹田呼吸も含まれていた。食べ物は薬草で作った丸薬だったか、お米が数粒だったか…とにかくほとんど霞を食っているような状態であった。彼はそこで1年半を過ごした。

山を下りるとき、彼は仙人にこう言われたという。

「ここで学んだことを下界に行って広めてやりなさい。」

彼は一人で山を下りた。麓まで来たとき、上を見上げると、もう、自分がどこから降りてきたのかわからなかったと言う。

次に仙人の話を聞いたのは、中国武術の道場の館長からだった。

Jは東洋の武術が好きだったので、ソウル大の近くにある「十八技」と書かれた道場に通い始めた。私も便乗して通い始めたのだが、その道場の館長がとても変わった人だった。私たちとさほど年齢が違わないように見える若い人だったが、既に「大韓十八技協会」の副会長という重責を担う実力者であった。いつも新聞を読んでいて、私たちの練習には一つも注意を払っていないように見えるのに、私たちが何か間違えるとすぐにやってきて指摘してくれる。不思議に思って、「どうしてお若いのにそんなに実力がおありなのですか。」と聞いてみた。

彼の話はこうである。彼がまだ子供の頃、家に得体の知れない老人が居候をしていた。彼の父親がそういう人の世話をするのが好きだったらしい。

ある朝、その老人が庭で奇妙な運動をしているのを見物していると、「お前もやってみるか?」と声をかけられた。それでそれから毎日教えてもらったのが、(後でわかったのだが)十八技であった。その後その老人はどこかに行ってしまった。

それから何年も経って、大人になってから、彼はソウルの町中で偶然その老人に再会する。老人は彼に、「山に行ってみないか。」と誘ったと言う。それで連れて行かれたのが俗離山であった。そこから先は前の話と全く同じ。手に呪文を書いて、目をつぶると頂上…

その次に仙人の話を聞かせてくれたのは笹目秀和という日本人だった。翻訳の仕事をした縁で仲良くなった出版社(精神世界社)の社長さんの紹介だった。(私は彼のお陰で日本では存在すらも知らなかった「変わった」日本人にたくさん会うことができた。)

笹目さんは数年前に亡くなるまで、奥多摩の道院で修行をしていた。著作もあるので、詳しくはそちらを見ていただければいいが、私が聞いた話を簡単に書いておこう。

時はまだ、第二次世界大戦前、彼は中央大学の学生で、中国を旅行中のことだった。

列車に乗ると、前に、服装はお坊さんのようでもあるが、髪の毛が長い若い男が座っている。気になって、「何をなさっている方ですか。」と訊くと、「私は道士です。」と答えた。
「白頭山の呂霊棘 (リョリンライ)仙人のところで修行しています。」

「山で修行されている方がどうして列車に乗っているのですか。」
「あなたを迎えに来たのです。」
「?!」
「私の師があなたを連れて来いと言いました。」
「でも、私はそのような方は存じませんが。」
「私の師とあなたは、過去生で3000年前に共に檀君(朝鮮の始祖と言われる)を助けていたのです。」
「そんなことがどうしてわかるのですか。」
「師がその人の名前は『熊の御堂』だと言っていました。」
「私の名前は『笹目』です。『熊の御堂』ではありません。」
「あなたの額にちゃんと『熊の御堂』と書いてありますよ。」

彼はその若い男の言うことが全く信じられなかった。その男は、「決心がついたらいつでも迎えに来ます。」と言って立ち去った。

彼は、満鉄の幹部に知り合いがいて、その家を訪ねた。そのときその道士のことを思い出し、冗談交じりで話をしてみた。ところが、驚いたことにその幹部はこう言ったのである。

「呂霊棘仙人は大変有名な方だよ。昔、張作霖が、彼に助けを求めて白頭山から連れてきたことがあったのだが、仙人は鶴に乗って帰ってしまったそうだ。そんな凄い人が会いたいと言うなら、是非会ってきなさい。」

彼は、その言葉を聞いて、急に自分も仙人に会ってみたくなった。そして、その家を出ると、目の前に例の道士が立っていた。「お迎えに参りました。」

呂霊棘仙人は年齢が250才くらいで、昔の中国語を話した。彼は日本語しか話せなかった。にも拘わらず、二人は完璧に意思の疎通を図ることができた。彼は仙人から自分がこの世に生まれた使命について聞かされた。それはモンゴルの復興に寄与することだったという。

その後、彼はヒマラヤの仙人にも会う機会があった。その仙人は年齢不詳(500まで数えてやめてしまったとか…)で、地球の鼻(ヒマラヤ)を掃除しているそうだ。そこで彼は「太陽の光を食う方法」について習った。それは彼が後にシベリアに抑留されたときに非常に役に立ったという…

私はその後笹目さんに誘われて、何度か奥多摩の道院にお邪魔したことがある。そこで遭遇した友人と、後にとんでもない目にあったことがあるので、私は多分道院とも深い縁があるのだろう。

1987年に結婚したのを機に、私は友人たちと一緒に住むことにした。韓国人夫婦(慧元を紹介してくれた人)、私たち、それにもう一人の日本人女子留学生でお金を出し合って、冠岳山の中腹に一軒家を借りたのである。そこにやって来る人々はみな、面白い人たちばかりだったが、その中に、また、仙人がらみの人間がいた。

彼は散歩の途中に立ち寄ったと言って、うちにやって来たソウル大生であった。彼は、田舎で自分の叔父さんに育てられたのだが、この叔父さんというのが仙人であった。

その叔父さんは亡くなるとき、自分の着ていた物をきれいに畳み、死体を残さずに死んだという(屍解仙しげせん)。

その後、彼が机の前でペンを手にしていると、手が勝手に動き出して、叔父さんからの指令が来るようになった。その一つが「ソウル大を受験せよ。」というものであった。

彼は全然勉強などしていなかったから、受かるわけもないと思ったが、叔父さんの言うとおりに美術学科を受験したら受かってしまった。

彼が初めてソウルにやってきて、最も驚いたことというのは、なんと……誰も瞬間移動ができない、ということだったのである。

彼の叔父さんは毎日当然のように瞬間移動をしていたので、「人間は瞬間移動ができる」というのが、彼の持っていた常識であった。ソウルの人々はそのような彼の常識から全く外れていた。

こんなことを書くと、彼自身は瞬間移動ができたのかとよく聞かれるが、私は確かめていないのでわからない。多分、田舎にいるときはできたのであろう。けれども、ソウルに来て、彼の常識が崩れてしまってからは、難しかったのではないか。

彼は、自分は頭のてっぺんから、人を浄化する気を送り込むことができると言っていた。韓国の「奇人変人特集」のような番組にも出たことがあるが、そのあと、叔父さんにこっぴどく叱られたという。とにかく、韓国にはこのような奇人変人が実にたくさんいる。

我々がこのような仙人に会いたいと思っても、会えるわけではない。いつも選ぶのは向こうである。彼らに選ばれれば、会うことができる。私は彼らに選ばれなかったので、仙人に会うことはなかった。けれども、特に会いたいとも思わなかった。

仙人の世界では、我々にとっての常識は全く通用しない。人の寿命だとか、生きるのに必要な栄養素だとか、物理的な法則だとか…。彼らの世界を知ることによって、我々の生きている世界が、絶対的なものではないことを知ることができる。我々の世界は、ただの、一つの可能性に過ぎないのだ。ただ、我々が、世界はこういうものであると信じているから、世界はこうなっているだけなのだ。

世の中のすべての人が「瞬間移動は可能だ」と信じるようになれば、みんなが瞬間移動をするようになるであろう。みんな、そんなことができるとはとても信じられないから、できないだけのことである。

けれども、仙人ならば何でもできるわけではない。彼らは、この世の人々に何らかの示唆を与えることはできても、この世を救う力はない。彼らはあくまでも、我々にとって「別世界の住人」であり、「別の次元の存在」である。この世で、普通の肉体を持って、ありとあらゆる苦しみを共に経験した人でなければ、この世を苦しみから救うことはできない。

聖人君子のような人間がこの世を救えると思ったら、大間違いである。彼らがどんなに立派な説教をしても、凡人たちは「あの人は特別だ。俺たちとは違う。」と思うだけだ。自分たちと同じ過ちを犯し、自分たちと同じ罪を犯し、この世のありとあらゆる苦しみを経験した人が、それを乗り越えて立ち上がったときに初めて、人はその人の言うことに耳を貸すようになる。だから、本当の救世主になれる人は、この世で最も罪深い凡人であるはずである。そうでなければ、すべての人を救うことはできない。

もう一つ、仙人について私が気に入らないのは、彼らが独身である点というである。彼らは苦しみのない世界に住んでいるかもしれないが、同時に人を愛するという本当の喜びも知らない。いずれ、彼らも結婚しなければならない時が来ると私は思う。そのときはきっとそっちの世界も大混乱だろうな。

でも、次のようなことは考えてみる価値がある。

もしも、すべての人の意識が変わって、瞬間移動ができるようになったとしたら、この世にあるさまざまな移動手段は存在価値がなくなる。長時間乗っているのが苦痛なだけの飛行機などは、真っ先に消えてなくなるのではないか。けれども、ただの移動手段ではなく、それに乗っていること自体が楽しいものは生き残るだろう。BBCの鉄道紀行番組の紹介では、次のようなことが書いてあった。

「もしも、UFOが発明されて、瞬間移動ができるようになっても、鉄道旅行の楽しみはなくならないだろう。」

(ちなみにうちの息子は、どこかに行くためではなく、ただ、鉄道に乗るために、鉄道旅行に出かける。いつも目的と手段が一致している。)

これからの意識の変革によって、何かの目的のためにする「手段」にすぎないものは、生き残れなくなる。本当は、何かをすること自体が楽しい、何かをする過程自体が楽しいのでなければ、それをする意味がない。

けれども、今の世の中は、何かの目的のための「準備」や「手段」でしかない活動がほとんどである。そのような仕事に従事している人たちは、これから大変なことになるであろう。それらは、将来全く必要なくなってしまうのだから。でも、そのような仕事に従事している人々は、今でもきっと辛いのではないか。みな、何かに追いまくられ、仕方なくやっているはずである。

だから、とにかく、やっていて自分自身が幸せを感じる仕事を選ぶことが大切なのだ。その仕事をすることがあなたにとって幸せなことである限り、その仕事は決してなくならないであろう。あなたが幸せを感じることこそが、その仕事が世の中にとって本当に必要な仕事である証拠なのだから。(続く)

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