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韓国遊学記(6)

韓国でできた友人は、慧元がらみの人が多かった。それから、慧元を紹介してくれたソウル大の学友(Hy)と、その夫(S)の知り合いたちが、よくうちにやってきた。

彼らは、かつては学生運動を熱心にやっていた(光州事件の時に投獄された人もいた)口だが、やがてそのようなやり方に疑問を持つようになり、農業や医療、教育の分野で新しい道を模索していた人たちだった。

農業の分野では、農薬や化学肥料を使わない「自然農法」を目指していた。それで、私たちは協力して、日本の自然農法家である福岡正信氏の著作を韓国語に翻訳することにした。福岡さんの承諾を得て、精神世界社から翻訳本を出版したのを契機に、「自然学校」という集まりができた。その集まりには、現在韓国の「ガンジー学校」の校長をしているヤン氏も含まれていた。

彼らのものの考え方は、はっきり言って「原始共産主義」的であった。個人の所有を否定し、みなで分け合うという考え方である。けれども、いわゆる共産主義と全く違い、思想統制は一切なかった。彼らは何ものにもとらわれない自由な生き方を目指していた。彼らは、むしろ「物を所有する」こと自体が、精神を不自由にすると認識していたのである。

当時の韓国は北朝鮮と厳しく対峙していて、あからさまな「反共国家」であったため、私ははじめ彼らの存在がとても不思議に思えた。彼らの考え方は、今の資本主義社会のあり方を真っ向から否定している。北朝鮮の共産主義よりもむしろ危険ではないのか? 

けれども、そのような考え方は韓国では珍しくはなかった。高名なお坊さんの書いた「無所有」という本がベストセラーの仲間入りをするし、みな「無償奉仕」や「自己犠牲」を美徳と心得ていた。新大久保駅で、見ず知らずの人を救うために命を捨ててしまえるような若者を育てる素地が確かにあったのだ。

北朝鮮のように、思想統制で共産主義を強要する社会(それは共産主義ですらないという人もいるが)においては、それが破綻してしまっているのに対し、当時の韓国のような反共国家において、逆に自然に「理想的な」共産主義の芽が芽生えているというのは、実に興味深い現象だった。人は何でも強要されるとやりたくなくなるものなのである。けれども、強要さえしなければ、自然に、為すべきことを始めるようになる……

学友のHyとSは、のちに山奥に広い土地をもとめて、そこで実際に農業を始めた。Hyが学業を途中で放り出してしまったので、ソウル大の先生方はみな彼女のことを心配した。ところが、指導教授のL教授だけは別だった。

L教授は離散家族である。若い頃、一人でソウルに上京してきたが、その後朝鮮戦争が勃発し、すべての家族を北に残したまま、南で暮らさなければならなくなった。

それで、彼には「田舎」というものがない。いや、あるが、行くことができない。彼は自分の教え子が田舎に土地をもとめたことを大変喜んだ。そして、時々そこを訪れては、果実の木を植えたりしていたのである。そのことを他の先生方は知らなかった。

半世紀も、愛する家族の消息すらわからないという状況がどれほど悲惨なことか、体験した人でなければわからないであろう(私もその辛さが身に滲みてわかるようになったのは、ここ10年のことである)。

韓国の持つ「深さ」について、考えるとき、どうしても「南北分断」の問題を避けて通るわけにはいかない。世界情勢の荒波のせいで、彼らはある日突然、分断されてしまった。愛する人が、「ちょっと買い物に行ってくるね。」と出かけたまま、半世紀も帰らないのである。生きているか、死んでいるかもわからない。これほど悲惨なことがあるだろうか。北朝鮮に家族を拉致された人たちが怒るのもわかるが、南北朝鮮には、そんな悲惨な目に遇っている人たちが、何百万人もいるのだ。拉致家族が自分たちの再会を望むなら、同時に彼らの再会も望んでほしい。南北統一以外に、すべての悲劇を終わらせる道がないことをわかってほしい。

人は深い悲しみを知るとき、本当に優しくなれると言う。韓国は南北分断という悲しみを背負って、とてつもない精神的な深みに達した。彼らの作る映画やドラマの底流には常にそれが存在している。彼らは、常に、「本当の愛」「本当の優しさ」「本当の厳しさ」を追求してきた。そうでなければ、到底この悲しみを乗り越えることはできなかったのだ。それらを見て涙する私たちは、彼らのような悲惨な目に遇うことなしに、その深さを学ぶことができる。

私は韓国と北朝鮮が背負ってしまった、悲しい使命を思う。そこには、きっと大きな意味があるに違いない。この国が分断を乗り越えて、統一を果たすとき、そこにはかつてなかった素晴らしい社会が誕生するに違いない。そしてそれは、この世の中すべてを大きく変えるに違いない。そうでなければならない。そうでなければ、彼らはあまりにも悲惨すぎる……

韓国では、西洋医学を学んでも、東洋医学を学んでも、「医者」として認められる。韓国人は薬が大好きで、テレビではたくさんの薬が宣伝されているが、実際には「韓薬」(漢方薬)を好む人の方が多いのではないだろうか。

少し前に、韓国で高視聴率を博したテレビドラマの「許浚」が話題となった。彼は16世紀に「東医宝鑑」という本を書いた実在の人物で、自分の身の危険を顧みず、ただ、患者の治癒だけを願う本物の医者である。もちろんすべてが実話ではなく、脚色も多いだろうが、医者を志す人ならば是非一度は見てほしい素晴らしいドラマであった。

私が韓国にいたときも、ときどき「韓医」のお世話になった。彼は総合病院の「韓医科」に勤めている人だったが、彼もまた、不思議な雰囲気を持った人であった。

同じ部屋の中で何人かの患者が待っているのだが、彼は、今診察している患者ではなく、待っている患者の方をときどき見ていた。待っている普通の様子から、その患者大体の状態を把握していたようなのである。だから、診察を始めるときには、もうほぼ診断はついていたのである。

「韓医学」は日本の「漢方医学」とは違って、腹診(お腹を触ること)をしない。ただ、脈を診るだけである。脈だけでわかるものだろうか、と思ってしまうが、要は、直感の勝負なのだ。西洋医学のようにレントゲンを撮ったり、血液検査ををしたりして、見えないはずのものを見てしまうと、直感が働く余地はなくなってしまう。けれども、どんな場合も、一番正しい答えをくれるのは直感なのだ。「韓医学」は直感が幅を利かせている分だけ、西洋医学よりも信頼がおけるというわけだ。ただし、医者の資質がより問われることになるのは言うまでもない。

韓国で風邪を引いたときは悲惨であった。

慧元は、熱い湯を沸かし、たらいに入れて、私の足をつけた。そして汗をいっぱいかかせて布団蒸しにするのである。私は高熱を出していたので、死にそうなくらい辛かった。それでも、もっと熱を出してしまえば早く治る、というのが韓国流のやり方だった。確かに、汗をたくさんかいて、熱は早く下がったが、正直言って、もうあんな目には遇いたくない、と思ってしまった。

日本では、熱が出たときは薬で熱を下げようとすることが多い。でも、熱が出るというのは、実は大切なことなのだ。熱によって、体の中の老廃物を排出したり、ウイルスを殺したりするのだから、それを中途半端に熱を下げてしまえば、悪いものが中に残ってしまう。それで、また熱がぶり返したり、他のもっと恐ろしい病気になったりするのである。だから、韓国のように「熱は思い切り出してしまえ」という方が正解なのである。ただし、あんなに過激にやらなくても、とは思うが。

これは風邪に限らず、人生全般に言えることだろう。何か問題が起きると、日本人は隠蔽したがる。でも、問題は解決しないままだ。韓国人はすべてさらけ出して、一時大混乱に陥って、その後嘘のように収拾する(まるで私を見ているようだな)。
(続く)

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