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効率の良さ

物事の正しさは,効率の良さと比例する。ここで言う、「効率」とは、エネルギー効率を指す。最近地球環境の保全のためによく使われるキーワードである。

たとえば、お湯を沸かすとき、薪で沸かすのと、ガスで沸かすのと、電気で沸かすのでは、どれが一番効率がいいだろうか? 薪を切ったり、火をつけたりするのは大変だと思うかもしれないが、ガスを使うためにはそれを採掘したり、運んだり、ガス器具を作ったりしなければならないし、最も手軽に見える電気を作り出すには巨大な発電所や送電線が必要になる。つまり、我々がそれらを利用できるようになるまでに、裏で莫大なエネルギーを消費しているわけで、結局は大変効率の悪いエネルギーの使い方をしているということになる。

そう考えると、お湯を沸かすのに最も少ないエネルギーの消費ですむのは、最も手近にある薪ということになる。実際に風呂に入ってみれば、電気で沸かしたお湯よりもガスで沸かしたお湯、ガスで沸かしたお湯よりも薪で沸かしたお湯の方が気持ちがいいし、暖房もまたしかり、さらには料理も炭火が一番おいしい。つまりエネルギー効率のいい方が人間にとっても心地よく、身体にもいいというわけだ。

およそ地球にとっていいことは、人間にとってもいいことのはずである。人間か健康になることならば、間違いなく地球も健全になるはずだし、今、地球が破壊されているとすれば、人間の身体も蝕まれて当然なのだ。つまり、「全体」と「部分」の利害は完全に一致するのであって、全体のために個々の部分が犠牲を強いられたり、逆に個々の部分の利益のために全体が損害を被るなどというのは、本来あり得ないことなのだ。それなのに、人間は長い間、「全体」と「個人」の利害は相反するものだと誤解して、どちらの利益を優先すべきかなどという議論に終始してきた。

地球環境を守るためにすべきことは何なのか? それは、地球のために自分が節制したり我慢することではなく、自分にとって最も良いことをすることである。

自分が最も健康になれること、最も気持ちのいいこと、最もおいしいと感じること…それが自分にとって本当にいいことならば、間違いなく地球にとってもいいことのはずなのだ。ところが、現代人はその感覚が大いに狂ってしまっている。

それは、現代社会がのそのような感覚を鈍らせることを強要し続けているためである。生活のため、お金のため、名誉のため、人間にはしなければならない義務がたくさんあって、ほとんどの人はそれに追いまくられた生活をしている。みんな目の前の義務をこなすのに必死だ。それをしていれば、少なくとも当面の生活は守られるかもしれないが、自分がそのような活動をすることによって、地球がどれほど壊れていくかなど、考えたこともない。「薪でお湯を沸かすだって? とんでもない。私は忙しいんだ!そんな効率の悪いことができるか!」(エネルギー効率と時間的な効率は全く異なります。いいものを生み出すためには、期が熟すのを待つことも必要です。)

でも、考えてみれば、地球にとって悪いことは、人間にとってもいいことのはずがない。義務に追いまくられた生活はストレスに満ち、結局自分も病気になってしまうのだ。身体はちゃんと教えてくれている。「あなたのしていることは間違っているよ。」と。

義務に追いまくられるというのは、つまり、やりたくないことを無理してやっている、ということである。これこそ、最もエネルギー効率の悪い生き方なのだ。やらなければ、という思いと、やりたくないという思いが葛藤を起こして、エネルギーを無駄に浪費しているのだから。逆に、自分が本当にすべきこと(=本当にしたいこと、していて幸せになれること)をやっているときは、人間は疲れを感じないものだ。どんなに忙しくても、どんどんエネルギーが湧いてくる。それこそ最もエネルギー効率のいい生き方で、それはつまり地球にとっても望ましい生き方なのである。

何が正しい生き方なのかを知るのは非常に簡単だ。自分の中のエネルギーの流れを見つめればいいのだ。やってもやっても疲れるばかりで労多くして得るものが少ないこと、それはエネルギー効率が悪いのだから、やってはいけない、ということである。自分が本当にすべき事を見つけるためには、何をしているときに自分の中からエネルギーが湧いてくるかを見極めればいいのである。

疲れ切った身体にむち打って、気の進まない義務をこなすのはもうやめましょう。そんなことをしていれば、地球はますます壊れるばかりだから。あなたが自分を壊しているのだから、地球が壊れるのも当然でしょ? 「これをすることが社会における自分の義務を果たすことなのだ。」などと言い訳するのはやめにしましょう。そんなことをして、誰が幸せになれると言うのですか? あなたは疲れるばかりで、周りの人も仕方なくつきあっているだけなのに。もっと、自分も生き生きして、周りも幸せになれるようなことをしましょうよ。

あなたが幸せになればみんなも幸せになれるのだということが本当に理解できたとき、この世の創造主である神の愛というものが、宗教的な意味ではなく、実感としてわかることでしょう。神はあなたに本当に幸せになって欲しいんですよ!!

かくいう私も、こんな文章を書いているときに最もエネルギーが湧いてくるのを感じるから、これを書いているんです…

2006.3.12

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