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本当の相手を見つけることこそが、すべての問題の解決の鍵である

本当の相手とは、あなたのたった一人の片割れのことである。
あなたが表だとすれば相手は裏、何があっても縁が切れることがない、宇宙にたった一人の存在である。

世の中のすべての人を上の図のように表せば、本当の相手は対角線上にある同じ色の人同士である。
二人が接する場所は円の中心で、そこではすべての人とつながっている。
そこはすべての根源、すなわち神である。
二人が一つになったとき、その存在は神に等しい。

かつて、イエス・キリストも、つぎのように語った。

「二人の者が同じ家でお互いに平和を保つならば、山に向かって『移れ』と言えば、移るであろう」(『トマスによる福音書』荒井献訳 講談社学術文庫)

本当の相手の存在が、問題解決につながる理由は何か。

第一に、本当の相手はあなたに真の自信を与える。

問題解決のために最も必要なものは何であろうか。
それは技術や知識ではない。
自信である。

たとえどれほど技術や知識を身につけたとしても、何事にも完璧ということはあり得ない。
だから、自信がない人は、さらなる技術と知識の習得に追いまくられるようになる。これでは、本当の問題解決に到達するわけがない。

本当の相手は、あなたが身につけた技術や知識ではなく、あなた自身の存在に自信を与える。
それはあなたの存在自体が相手を幸せにすることを実感できるからである。
自分がこの世に存在することが許されているということを心から感じることができるのだ。

その自信は、恐怖や不安で固まってしまったあなたの心を緩ませ、心底リラックスさせてくれて、あなたの持てる力を十二分に引き出してくれる。

それこそが、問題解決に絶大なる力を発揮するのだ。

さらに、本当の相手の存在は、争いをも消滅させる。

この世に争いがあるのは、人と人との間に利害の対立があるからだ。
だれかが自分の利益だけを追求すれば、他の人に被害が及ぶというのが、この世の常識である。
けれども、本当の相手に出会って、その人と正面から向き合う人生を歩み始めると、事態は一変する。

例えば、自分の本当の相手が既婚者(男)であった場合、最初はその妻に対してねたみ心を抱くかもしれない。
けれども、すぐに、妻にも本当の相手がいることに気づく。本当の相手は、あなただけの相手なのであって、だれとも取り合いをする必要がないからだ。
だから、自分が幸せになるために、その妻にも幸せになって欲しいという気持ちが芽生えてくる。

このように、本当の相手に出会って、幸せになることを決意した人たちは、必然的に、すべての人の幸せを願い始めるようになる。
なぜなら、すべての組み合わせが正されてこそ、自分も本当に幸せになれることが分かるからである。
また、本当の相手に出会って、真の幸福を感じるようになった人は、自然に、他の人にもその幸せを分け与えたいと思うようになる。

本当の相手の存在が、自分の本当の幸せを求める心を呼び覚まし、それが自然に博愛へとつながって行くのである。

こうして世の中から争いは消滅し、もはや、法律や倫理や宗教で人を縛る必要は一切なくなる。

ここで、大切なことは、だれもが強制されなくても、自然にすべての人の幸せのために働き始めるということである。

私が占いを行った後、自分の本当の相手ときちんと向き合い始めた人たちは、みんな自然にそういう行動に出るようになり、私が彼らにああしろこうしろと言う必要は何もなくなった。

本当の相手と向き合う、ということはすなわち、上記の円の中心にとどまるということで、そこではすべての人とつながっているのだから、必然的に、他人を不幸にするようなことはできるはずがないのである。

唯一法律が必要だとすれば、「本当の相手から逃げないこと」。
しかし、どんなに逃げようとしても、本当の相手の引力にはだれも抵抗できないので、結局それすらも必要なくなる。

つまり、人間は、自分が一番魅力を感じ、幸せを感じる人の方に向かって行けば、必然的に人の道から外れないようになっているのである。
まさに神のなせる業としか言いようがない。

にもかかわらず、現代社会で多くの人が人の道から外れたことをするようになってしまったのは、要するに、自然な引力に逆らってしまったから、自分が幸せになる勇気がなかったからにほかならないのだ。

ところが、こういう話をすると、「すべての問題が解決してしまうことはよくない」と反論する人たちがいる。
「そんなことになったら、人はやることがなくなってしまう。問題解決に努力する過程こそに価値があるのだ」と。
確かに、問題解決のための努力をすることが本当に幸せなら、そういう考えもあり得るだろう。
でも、現在問題解決のため努力している人たちをみると、ただ追いまくられているだけで、とても幸せには見えない。
解決のための努力が更なる問題を生み、いまや世界の行き詰まりは待ったなしである。

ここに、一つの誤解がある。
人間が生まれてきた目的は、問題解決の努力をするためではない。
楽しく幸せに生きるためなのである。
問題解決が終わればすべてが終わりなのではない。
そこからが始まりなのだ。

これは例えて言えば、ジグソーパズルのようなものである。
人は、ジグソーパズルが完成すれば、そこでゲームは終わりだと勘違いしている。

そうではなくて、絵が完成したとき初めて、その絵に命が吹き込まれる。
そこから絵が動き出す。
本当の物語が始まるのである。

だからもう、いいかげん、パズルをはめるのに時間を費やすのはやめよう。
そして本当の物語を始めようではないか。

2007/5/16

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