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真実を語ることの難しさ

世の中に頭のいい学者は多いのに、なぜこうも真実を語る人は少ないのだろう。もちろん、真実を語る人が全くいないわけではない。しかしそのような人はあまり表に出てこない。マスコミに登場する権威ある人々が真実を語ることはほとんどない。

何学であれ、とことん深く追求すれば、必ず真実に突き当たるはずである。「すべてのものは、目には見えなくても、みな深いところで繋がっている」という真実である。この世のもので、自分と全く無関係なもの、自分から完全に切り離すことができるものなど、何一つない。つまり、存在する全てのものは、究極的には我々自身であり、我々にとって必要なものだ、ということだ。(もしも学者がそのことに気づかないとすれば、彼らの学問が浅薄であるか、あるいは、わざと気づかないふりをしているからである。)

したがって、何かを「敵」と見做して、それを殺したり、排除しなければ自分の安全は保たれない、という考えは間違っている。「敵」を傷つければ、それは回り回って必ず自分をも傷つける。

だから、コロナに関しても「コロナに打ち勝つ」などという考え方のもとに対策を講じてもうまくいくはずがない。コロナもまた、「敵」ではないからだ。コロナのような事態が生まれたのは、我々自身に問題があるからである。私はコロナがどこからどうやって発生したのか、などということには全く関心がない。どこから生じたにせよ、それが存在するということは、我々にとって必要だからなのである。コロナは間違いなく我々に何かを教えるために存在している。我々自身が自分の生き方を反省する必要があるのだ。

コロナが突きつけているのは、本当の健康とは何か、という問題だ。感染を防ぐためにロックダウンのような対策を講じれば、人々は家に閉じ込められて運動不足に陥り、ストレスが溜まる。これでは免疫力が落ちて、罹患すれば却って重症化してしまう。また、除菌や殺菌で「悪玉菌」を排除しようとすれば、自分の体を守ってくれている「善玉菌」も殺してしまう。そうして無菌状態になったところにもしも「悪玉菌」が入り込めばそれは一気に増える。人々を不健康にするこのような対策は本末転倒である。このような矛盾した対策ばかり講じていて事態が解決するわけがない。本当は罹患しても重症化しないように、人々を真に健康にするにはどうしたらいいかを真剣に考えるべきなのだ。

現在の医療は、とにかく薬に頼りすぎている。肺の病気と診断されて薬を飲み始めると、今度は胃がやられて胃薬が必要になり、さらにまた別の不具合が生じて別の薬が必要になり、というふうに、人々を薬漬けにしている有り様だ。何かの問題を解決しようとすると他の問題が生じるのは、明らかに解決の仕方を間違えているからである。これは本来一つであるはずの人体を部分部分に切り分け、繋がりを無視してしまったせいである。肺にとっては良いが胃にとっては悪い薬が、体全体にとって良いはずがない。それはすなわち、究極的にはそれは肺にとっても良い薬ではない、ということだ。

また、「病を治すことができるのは自然治癒力で、薬はあくまでもそれを助ける補助手段でしかない」という真実は、医学を学んだ者なら誰でも知っているはずなのに、現在の医療は自然治癒力に対する信頼が決定的に欠如している。それが今の医療の最大の問題である。発熱は自然治癒に不可欠な現象なのに、発熱すれば解熱剤を使おうとする。それでは自然治癒力を助けるどころか、却って邪魔をしているだけである。医療が逼迫する本当の原因は、現在の医療が抱えているこのような根本的矛盾のせいである。医療関係者はそのことに気づかなければならない。

ワクチンについては、有効性についてはよくわからないし、「ワクチンは陰謀である」というような主張にも興味はない。しかし現在のワクチンが良いものではないことは明らかだ。保存するのにとんでもなく低い温度を必要とし、地球環境に多大な負荷をかけるような代物が、本当に良いものであるわけがない。本当に良いものならば、すべてにとって良いはずだからである。一部にとっては良いが、一部にとっては悪い、というようなものは、究極的には全てにとって良いものにはなり得ないのである。なぜならば、すべては繋がっているからである。

コロナを敵と見做して、なんとかして排除しようとするのではなく、コロナが我々に何を教えてくれようとしているか考える方にシフトすれば、間違いなく事態は変わるであろう。我々がコロナから学ぶべきことを学んだら、コロナはもう存在する必要がなくなるからである。

けれども、自分たちの権力を維持しようとする人々は、「敵」を作るのが好きだ。そうやって人々の恐怖心を煽り、「敵」からお前らを守ってやれるのは自分たちだけだと言って我々を支配したいのだ。けれども、本当は「敵」などいない。

何かに行き詰まったとき、解決の鍵になるのは「敵」とみなされてきた存在である。「敵」は自分にないものを持っている。「敵」は自分が知らないことを知っている。「敵」は自分と考え方が違う。「敵」は自分と違う視点を持っている。だから「敵」を知ることは、行き詰まった自分にとっては新たな視点への入り口、つまり突破口になりうる。「敵」を受け入れ、助け合うことができれば、味方よりもずっと強力な助っ人になってくれるはずである。「汝の敵を愛せ」とイエス・キリストが言ったのは、宗教的な道徳や倫理観念からではなく、そうしなければ結局自分も不幸になるからである。この言葉は「究極の打算」なのだ。

これらのことは、「すべては繋がっている」という真実に気づきさえすれば、容易に理解できることのはずだ。なのに世の学者たちがそのような主張をしないのはなぜか。それは「真実を語れば、自分の立場が危うくなる」からであろう。この世の経済活動の多くは「敵」を作ることによって成り立っている。巷にはこれを買えば「敵」から身を守れます、というような商品が溢れかえっている。要するに、この世は「敵が存在する」という嘘で成り立った社会なのである。その世の中で自分の地位を保とうとすれば、自己保身のために真実に気付かぬふりをしなければならない。

純粋に学問を追求しているつもりの人でも、本当に追い詰められたらどうしても自己保身に走ってしまいたくなるものだ。他人を非難することはとても易しい。自分が本当に追い詰められたときにその人の真価が問われる。

保身に走って嘘をついてしまった人にとって、真実を認めることは極めて難しいことだろう。「自分は嘘をついていた」と認めたら、自分はすべてを失ってしまうかもしれないと恐れるからだ。でも、覚悟を決めて嘘を認めた人を非難することは誰もできないだろう。この世に嘘をついたことのない人などいないからである。そして自分の嘘を認める姿はとてつもなく美しい。なぜならそれは、本当の勇気を表しているからだ。

コロナによって今、社会が揺らいでいる。今こそすべての人が真実に目を覚まさなければならない。

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