Sun&Moonのリンク

「縁」

本当に学びたいとは思えない外国語は学ぶ必要がない、などとと言うと、それでも生きていく上で英語くらいは必要ではないか、と 不安に思う人も多いと思うが、縁のある外国語と、縁のない外国語というのは、確かにあるものなのだ。

私も言葉を専攻している関係上、いろいろな外国語を学んだが、そのうちモノになったのは、韓国語と英語だけだ。両方とも私の人生に欠かせない言葉である。韓国語は私の職業と関わっているだけでなく、私の心の「師」は、韓国語しか話せない人だったし、前夫はイギリス人だった。

長男が生まれたとき、私はどうしても、この子に英語を習わせたいと思った。それで、父親に、絶対日本語を使わないで英語だけで話しかけてくれるように必死に頼んだ。そのころは、自分もどうしようもない教育ママなのかなあ、と思っていたが、その後息子がニュージーランドの学校に通ったりするのを見て、やはりこの子の人生には英語が必要だったのだな、と納得した。ひょっとしたら、彼にとっては、英語が、将来伴侶となるべき人との共通言語なのかもしれない。

それに引きかえ、二男には、英語を教えたいとは全く思わなかった。案の定、○△子ちゃんは日本人なので、彼は日本語しか知らなくても、伴侶との意思の疎通に困ることはないはずだ。

学生の中にも、こんなのがいた。彼女はとても中国語を熱心に学んでいた。まるで強迫観念にでも駆られたように必死になって。自分でもどうしてそうなのかわからない、と言っていた。ところがあるとき、ある中国人の留学生に出会って、彼女は初めてその理由を悟ったのである。「私がこんなに一生懸命中国語を学んでいたのは、この人に会うためだったのだ!」と。

だから、自分にとって本当に必要な外国語なら、理由もわからず、なぜか習いたくなるものなのである。ご心配なく。

前へ 次へ 戻る