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「異言語間のコミュニケーション」

「外国語を習うこと」に関していろいろ述べてみたが、実は私が最も関心を持っているのは、別のやり方のコミュニケーションである。そのことについては、「感覚的回路」を開くで述べた。

それは、月刊「言語」という雑誌の中の連載のひとつとして書いたものである。それを書いて出版社に送るときは、ヒヤヒヤものだった。感覚的回路を開けば、外国語など習う必要はない、と書いているも同然だったからである。今まで外国語習得に関する本をたくさん出版している出版社の編集者から「これはいったい何ですか!」という非難が飛んでくるのではないか、と心配したのだ。けれども、それは全くの杞憂であった。編集者からは次のような手紙が来た。「今回の原稿は実に画期的に面白かったです。」

さて、そこにも書いたように、私が理想と考えるコミュニケーションは、お互いが自分の母語(最も自分の気持ちを的確に表現できる言語や方言)で話し、相手の言葉を理解する、というものである。コミュニケーションにおけるあらゆる不公平と誤解を解消することができるのは、その方法しかない。それが可能であることは、白頭山の仙人や私の息子の例で確かめられた。

では、どうしたらそのようなコミュニケーションができるようになるのだろうか。残念ながら、私自身はまだそのようなコミュニケーションをした経験がない。ただ、相談事があってやって来る学生に対して、相手の話も聞かずに、思いついたことをしゃべっていたら、「先生はまるで私の悩みを知っているかのような話をなさいますね。」と言われたことはあるが。しかし、それは無意識のレベルで起きたことで、そのときの私には「相手の悩みを見抜いた」というような意識は全くなかった。

自分ができないことを他人に教えられるはずはない。だからここで私がそのようなコミュニケーションの方法についてやり方を解説することはできない。けれども、実際にそのようなコミュニケーションをしたことがあるという何人かの証言をもとに、いくつかのヒントを提示することはできる。それを参考にして、皆さんもトライしてみてください。

実例1 「子供」

息子もそうだったが、私の話を聞いて、自分も子供の頃に外国人が話すのを理解できたことがある、と思い出した学生が何人もいた。最初のキーワードは「子供」。子供は心が開いている、自由だ、身構えていない、心配しない、等々、いろいろな理由があるだろう。

実例2 「何語かわからない」

授業中に、学生に何語かを言わずにヘブライ語の1から10までをテープで聴かせてみたら、口調や抑揚から、「数を数えているようだ」と感じた学生が何人もいた。その後で、これはヘブライ語だと言ったら、ある学生(S)が私にこんな事を言いに来た。

「先生、さっき、何語がわからないで聴いたときは意味を感じることができたのですが、先生がヘブライ語だと言った瞬間にわからなくなってしまいました!」

よく、「何語がわからない」から「理解できない」とか「聞き取れない」という話を聞くことはあるが、「何語か知ってしまったからわからなくなった。」というのは実に面白いではないか。

この学生Sは、これ以外にも面白い話をたくさん聞かせてくれた。

あるとき、学生にポルトガル語の会話を聞かせて、意味を推測させたら、彼はまた私のところにやってきてこう言った。

「先生、今日は全然わかりませんでした。」
「どうして?」
「子供の時、ブラジル人の友達がいて、ポルトガル語をよく聞いていたんです。テープを聴いたとたん、あっ、ポルトガル語だ!と思ってしまいました。そうしたら、何を言っているのかわからなくなってしまったんです。」

実例3 「生粋の母語」

次もSの話。彼はワールドカップの時、スウェーデン人ふたりが話している内容を感じ取ることができた。けれども、日本に長く住んでいると思われる人の言葉よりも、スウェーデンから来たばかりの人が話している言葉のほうが、はるかにわかりやすかったという。

日本に長くいるスウェーデン人はスウェーデン語が下手になってしまって、自分の母語であるにもかかわらず、その言葉に自分の思いを完全にのせることができなかったのではないか。

実例4 「自分でも理解していることに気づかない」

次の例は私の母である。あるとき、イギリス人のJがびっくりした様子で私のところにやってきた。

「ねえ、おばあさん、英語ができるの?」
「できないよ。戦時中に学校に通ったから、英語は全然勉強しなかったんだって。」
「でも、おばあさん、英語わかるよ。さっき○明と英語で話をしていたら、おばあさんが突然日本語で返事をしたんだ。それが、ふたりの英語の会話が聞き取れなければ決してできないような返事だったんだよ。」
「へぇー、すごいね。おばあさん、英語ができるようになったんだ!」

私はさっそく母のところに行って、そのことを話した。ところが母はとんでもない、英語なんかわかるわけないじゃない、と真っ向から否定した。彼女は、自分が英語を理解したことすら気づいていなかった。つまり、英語を聞いているという意識すらなかったのだ。

実例5 「酒」

ある学生が、韓国に行って韓国人と仲良くなった。ふたりはお互いの言葉がわからないので、英語で話していたのだが、酒を飲んでいたせいもあり、だんだんめんどくさくなって、自分の言葉で話し始めてしまった。すなわち、学生は日本語で、韓国人は韓国語で。お互いに楽しく話をして別れたのだが、翌朝彼は急にそのことが気になりだした。あれ?ゆうべ俺は日本語で、あいつは韓国語で話していて通じていたようだけど、本当にそんなことあったのかな?夢だったんじゃないかな?

それで、その日また彼に会ったとき、そのことを英語で確かめてみた。

「俺たち、ゆうべこれこれこんな話、したっけ?」
「うん、したした。」

これと同じように、酒が入るとなぜか意思の疎通ができてしまう、という話を他にも聞いたことがある。

息子は12歳からしばらくニュージーランドにいたのだが、そのときにも、中国から来た留学生同士が話している内容がわかったことがあったという。「どういうときにわかるものなの?」と訊いてみると、意外なことに、一生懸命聴いているときではなく、ぼーっとしているときのほうが、わかることが多い、という返事であった。

私は最初「伝え合いたい」という思いが強く、真剣に聴いていればわかるのではないか、と思っていたのだが、どうもそうではないらしい。他人同士が話しているのを小耳にはさんだようなときにも、結構わかってしまうようなのである。とにかく、あまり一生懸命になってしまうとかえってうまくいかないらしい。何も考えず、リラックスして、ボーっとしているときのほうがわかるようなのだ。

つまり、最初から、「自分が知らない外国語を聞き取ってやろう」などという考えでやってもダメなのである。そもそも「外国語だ」と思ってしまった時点でもうアウトである。自分にはわかるはずのない言葉だ、などと思ってもいけない。理解できるのが当然、といった態度でただ、頭も心もゆるめていればいいのである。

いかがでしょうか。何となく、どうしたらいいかつかめましたか?

世の中の人がすべてこの方法をマスターすれば、無駄な外国語教育などいらなくなってしまう。それは私も含めて、現在外国語教育に携わっている人たちにとっては脅威となりうる。自分の仕事がなくなってしまう可能性があるからである。

けれどもこのコミュニケーションは、本当に外国語を学びたい人の外国語学習を否定するものでは決してない。学ぶこと自体が楽しいと思えるなら、大いにやればいい。人生は本当にやりたいことをするためにあるのだから。でも、ただの義務感で、やりたくもない外国語学習をやらされている人たちは、そこから解放されていいではないか。

そんなふうに、新しい世の中では、必要なくなることはいっぱいある。

<追記>
アテネオリンピックのコラムに次のような記事を発見しました。このような実例がこれからどんどん増えていくと思われます。(2004.8.21)

アテネの街角から 第8回 言葉とは、これ不思議なもので

言葉は理解できなくても、相手の言うことがわかる   高樹ミナ  2004.8.20

リンクが機能しなくなったので、ここに引用させていただきます。(2004.11.23)

早いもので、アテネにやってきてから20日がたとうとしています。こちらに来てから、ギリシャの文化や生活習慣、国民性など、毎日「発見」と「驚き」の連続で、その新鮮さに飽くことがありません。

また、そうこうしているうちに、この国の言葉にもなじんできたような気がします。アテネの人たちが話すのはギリシャ語で、英語を話せる人の割合も日本よりはるかに多いのですが、公用語はギリシャ語です。私の言う「なじんできた」というのは、別に話せるようになったという意味ではなく、ただ、相手の言っていることが理解できるようになってきたということです。

■言葉は理解できなくても、相手の言うことがわかる

昨日もこんなことがありました。レンタルルームをシェアしているルームメイトがこちらに到着したので、大家さんであるステファナキス家のご夫婦にさっそく彼女を紹介すると、奥さんのバッソが新しいシーツと枕カバーを、彼女のベッドにセットしてくれました。そこでの一コマです。

高樹「バッソ、ありがとう」
バッソ「○▲*□◎■▽*□●」
高樹「は~い、わかりました」
バッソ「△■◎▼○*△□●*」
高樹「いいの、いいの、十分ですよ」
バッソ「□▲! *●□△▼◎*■*◎?」
高樹「いつもありがとう。喜んでいただきます」

この会話を聞いていたルームメイトは、「相手の言っていることがわかるの?」とけげんそう。いえいえ、そんなわけはありません。ただ、相手の表情や様子で、言わんとすることが伝わってくるのです。

ちなみにバッソは、「寒かったらこのタオルケットをかけてね。うちはホテルじゃないから、シーツや枕カバーは娘が使っているものだけど、ちゃんと洗ってあるし、けっこう新しいものだからね。あっ、よかったらグリークコーヒーを飲む?」と言いました。

この家の人々は一時が万事、本当に親切なんです。こんな具合に、電車の中やカフェでも、最近は人々の会話のやり取りがわかってくるようになりました。言葉自体は理解できないのに、なんとも不思議な気がします。

高樹 ミナ(たかぎ・みな)
1970年生まれ。千葉県出身。93年杏林大学外国語学部英米語学科卒業後、リポーター・ナレーターとしてテレビやラジオで活動。競馬取材を機に95年からライターに転向し、調教師やジョッキーの記事を執筆。北は北海道から南は九州まで、中央競馬・地方競馬を問わず取材に明け暮れる。その一方でF1、野球、ラグビー、トライアスロンなどに活動の場を広げ、99年にはトライアスロンの取材で世界のレースを転戦。2000年にシドニーオリンピックを取材し、同年、慶応ラグビー部総監督・上田昭夫氏の『慶応ラグビー部「起業」報告』(小学館文庫)を出版。2001年はヤクルト球団サイトの担当記者としてリーグ優勝、日本一に立ち会う。今年は佐藤琢磨選手をフォローしているF1と、アテネオリンピックに重点を置いている。

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