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韓国遊学記(4)

こんなことを書くと、私が慧元に対して恋愛感情を持たなかったのかと不思議に思う人もいるかもしれない。

私は惚れっぽい性格で、すぐに人を好きになるが、どういう訳か慧元に対しては、全くそういう感情が起きなかった。それはある意味ではとてもありがたいことだった。

でも、慧元がどうだったのかは知らない。何年も経ってから、私は彼にこんな質問をされたことがある。

「あなたは僕のことを本当はどう思っていたの?」

「もしも、一緒に暮らしたい人を一人だけ選べと言われたら、慧元と答えたかもしれない。でも、男だという感じは全然しなかった。」

彼はちょっとがっかりしたような表情をした。そして、こんなことを言った。

「韓国に来たとき、あなたのそばにJがいたことは、僕にとって有り難いことだったよ。あなたが美人でなくて、本当に良かった。もしも美人だったら、たくさんの男が列を成して、大変だったろうよ。」

こんなことを私に言う人は本当に多い。私の韓国のあだ名は「おこげ」である。見かけは悪いが、噛むと香ばしい味が出るんだとか。月○も「決して美人ではないが、魅力的な女性だと思ったことはある。」と言っていたし、私の双子の魂も似たようなことを言っていた。全く!そういうことを言われると、傷つくんだけどな… 私に「美人」だと言ってくれたのは、ただひとり、Jだけだった。彼はいつも私のことを「短足美人」と呼んでいた。やはり彼はイギリス紳士だ!Jは、私が月○と出会うまで私に変な虫が付かないように守ってくれた保護者のような存在だった、と思う。

慧元にも当時、奥さんと子供がいた。けれども、社会生活をするのはなかなか大変なようだった。

でも、それは仕方のないことだと思う。経済的に安定した社会的な地位を得、今の社会秩序に組み込まれてしまったら、決して慧元のような自由な考えを持つことはできないだろう。だから、この社会自体を変革するためには、どうしてもそういうものから離れる勇気が必要なのである。けれども、この世にいる限り、生活はしていかなければならない。それは慧元のような人々が常に抱えているジレンマであった。

有り難いことに私は国費留学生だったため、経済的に少しは余裕があった。それでときどき慧元を援助していた。そういう意味では、私たちはお互いに助け合う関係であった。

また、慧元は家庭的にもいろいろな問題を抱えていた。彼が聖人のような人間ではなく、そのようなごく普通の姿を見せていてくれたことは、とてもありがたいことだった。それは、この世のごく普通の人でも、慧元のような智慧を掘り当てることができるのだという証であったから。

私は一度、慧元にこんな質問をしたことがある。

「あなたのような人がひとりこの世にいれば十分ではないの。私は必要ないでしょう?」

すると慧元はこう言った。

「僕がいくら正しいことを言っても、世の中のほとんどの人は、僕の学歴を見て、『こんな人の言うことは聞くに値しない。』と言うんだよ。でも、あなたの経歴を見れば、みんながあなたを信用する。だから、あなたは僕よりももっとたくさんの人に伝えることができる。それが大切なんだよ。」

有り難いことに、私は経済的に困窮したことがない。留学後、大学にも「自然に」就職できた。社会的にも安定した地位を得た。けれども、私はいつもそれに安住してはいけないことを知っている。何度も辞表を書いたこともあるし、いつも首の皮一枚でつながっている状態だ。

経済的なことに関しては、私は次のような信念を持っている。
「私がこの世に存在する価値があるなら、必ず天が私に仕事をくれる。」と。
私が天の意思に背かない限り(自分に嘘をつかない限り、自分を守ろうとしない限り)、天はこの世に私が必要だと思ってくれるはずであり、そうであれば私が生活するのに必要なものは必ず手に入るはずだ。そう思って、私は生きてきた。そして実際にそうなっている。

だから、経済的なことを理由に、自分が本当にやりたいことを我慢している人たちは、是非そう信じて、勇気を出して欲しい。必ずそうなるから。みんなが経済的なことを理由にして嫌なものにしがみついている限り、決してこの世を根本的に変えることはできないのだ。イエスが「何を着て、何を食べるかを思い煩うな。」と言ったのはまさにこの意味である。

みんなが本当に自分がやりたいことを始めれば、必ず世界は調和するはずである。誰かが必要なものは、必ず他の誰かが創っている(彼らはそれを創るのが幸せだから創るのであって、お金のためではない!)。そんなふうに皆が助け合って生きられる世の中が必ず来る!

慧元は、私が彼を信頼し始めたの感じたのか、あるときとんでもない話を始めた。それが俗離山に住む「仙人たち」の話であった。彼はあまりにも当たり前のようにその話を始めたので、私は当惑してしまった。当時の私には、それはあまりにも突飛で、笑って聞くしかないような話だったのである。けれども、信頼する慧元が言うことだから、笑うわけにもいかない。

けれども、私はその後、全く別の人々から、何度も似たような話を聞かされる羽目になる。2度目は驚き、3度目はもう信じるしかないな、と思った。4度目はもう…!

今思えば、私の韓国留学は、仙人の弟子たちに取り囲まれていたようなものであった(私自身は実際に仙人に会ったことはないが)。でも、韓国留学をした他の人たちに聞いてみると、そんな人には会ったこともないと言う人がほとんどである。

のちに、それはすべて私自身に原因があったことのだということが分かった。彼らは私が引き寄せてしまったのだ。
では、次回はその仙人の話をしよう。(続く)

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