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「人生は思い通りになる」

順不同で、私にとって、最も印象に残っている出来事から始めよう。

授業の準備はいつも大変だった。忙しかったわけではなく、「恐怖」の連続だったのだ。もちろん、その日に話す内容について、予め考えて置かないわけではなかった。何某かの資料を準備し、話す内容の見当を付けておけば、安心ではある。けれども、そのように周到な準備をすると、授業はかえってつまらないものになることが多かった。

本当は、その日、そのとき、その学生たちにとって一番必要な話は、その場でしかわからないものである。世の中は刻一刻と変化しているのだから。ゆえに最も適切な準備は何も準備しないことであるはずなのだ。でも、それでは授業が破綻する危険性がある。私はいつも授業を破綻させる恐怖と隣り合わせでいなければならなかった。

その日も、何を話そうか、と途方に暮れていたのだが、大学に向かう電車の中で、突然話したいことを思いついた。それが「人生は思い通りになる」という話であった。

言語(ことば)には現実を創る力があります。聖書の最初にもあるように。(「初めに言があった。言は神とともにあった。言は神であった。この言は初めに神とともにあった。すべてのものは、これによってできた。『ヨハネによる福音書』第一章」)

思考は言語によっていますね。つまり、思ったことは現実になるということです(誰かが、『思考は現実化する』という本を書いていましたが、まさにそういうことです)。人生は思い通りになるのです。

こんなことを言うと、「そんなはずはない。私の人生は思い通りに行った試しがない。」と言う人が多いことでしょう。では、こんなふうに考えてみたらどうでしょうか。

例えば、ある人がある試験に受かりたいと思ったとします。彼は、「試験に受かりたい!」と一生懸命考えました。けれども、試験に落ちてしまいました。どうしてでしょうか?

それは、彼の「試験に受かりたい!」という思いの奥に、さらに別の思いがあったからです。それは、「試験に落ちるかもしれない。落ちたらどうしよう。」という恐怖です。

人生を左右する「思い」とは、その人の最も深いところにある「思い」を指すのです。普段、それは、表面的な「思い」に隠れて、外には現れません。自分でも気づかないことがほとんどです。

心の奥深くにある「恐怖」はとても強いエネルギーを持っているので、いくら表面的に「受かる!」と念じたところで、その「恐怖」に勝つことはできません。従って、その「恐怖」が現実のものとなって現れてしまう、というわけです。

人が何かを強く祈ったりする場合も同じです。そういう場合、必ず、奥底に「そうならないのではないか」という恐怖があります。恐怖がある限り、決して祈りが通じることはありません。恐怖の思いの方が強いのですから。

そういうとき、自分の願いが思い通りにならないのは、恐怖があるせいだということに気づけば、もっと深く自分の心に入っていくことができます。自分の恐怖を自覚することができれば、またそれに対処することも可能になります。

こんな話をして、研究室に戻ると、一人の男子学生がやって来た。彼はとても興奮した様子だった。

「先生、今日の話は、僕のためにしてくれたんですね。僕は失恋の痛手で、ずっと大学に来ていなかったんです。どうして彼女が僕から離れていったのかがわからなくて、悩んでいたんです。ところが、なぜか今朝、急に大学に来たくなりました。それで先生の授業に初めて出ました。先生の話を聞いて、僕はなぜ失恋したのかわかりました。僕はずっと、彼女を失うのを怖がっていたんです。今日、初めてそれに気づきました。」

彼はとても晴れやかな顔をしていた。そして、これからの人生は、今までとは全く違うものになりそうだ、と話してくれた。

私が電車の中で、急に「人生は思い通りになる」という話をしたくなったのは、彼が大学に来ることを察知したからだ、ということがわかった。それは私にとっても大きな自信につながった。私は彼のお陰で、さらに自分らしい授業をする勇気をもらったのである。

彼はその後も、私の人生の節目節目でとても適切な助言をしてくれる。

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