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「沈黙--失敗は成功の元」

ある日はまた、何を話したらいいのか、皆目わからなかった。そういうことも珍しいのだが、とにかく私は100人を越える学生を前にして、何も言うことができなくなってしまった。絶体絶命のピンチ!

私はただ、黙っているしかなかった。教壇に立った私が一言も発しないので、何事かとしばらくざわついていた教室は、次第に静かになっていき、ついに物音一つしなくなった。

大教室は、水を打ったような静けさに包まれた。そのまま、沈黙の時間は続いた。

やがて、私はようやく口を開くことができた。

「言葉について、知るためには、その反対である沈黙についても知らなければなりません。」

それは、私にとって、本当に苦し紛れの授業だったのだが、後で学生たちに感想を聞いてみると、「沈黙」の授業が最も印象的だったという者がかなりいたので驚いてしまった。

「あんなにたくさんの人がいるにもかかわらず、あんなに静かな空間を経験したのは、初めてでした。とても衝撃的でした!」

考えてみれば、人は普通、常に何かをしたり、何かを考えたりすることを要求されている。学生だったら、本を読めとか、人の話を聞け、とか、何かを考えていろ、とか。とにかく、何もしないことがいいことだと言われることはまずないだろう。それでは、ただの怠け者だと思われるのが落ちだ。

しかし、本当に自分自身と向き合えるのは、実は、沈黙の時間なのである。何も読まない、何も聞かない、何も考えない… ただ、剥き出しの自分がそこにある。

恐らく、人は、それを見てしまうのが怖くて、常に何かを読んだり、聞いたり、考えたりしたがるのだろう。

「沈黙の時間はどうだったか?」と聞くと、「落ち着いた」という者もいたし、逆に「不安になった」という者もいた。「怖かった」と答えた学生も多かった。ある学生はこう言った。「先生、沈黙は言葉の反対ではありませんよ。沈黙は物凄く雄弁です!」

いずれにせよ、どの学生にとっても、これまで経験したことのない、貴重な時間だったようだ。

私は沈黙の時間を過ごすことが多い。自分の外から入る情報よりも、自分の中から湧いてくる情報の方が信頼できるようになったからである。はたから見れば、何もしていないように見えるかもしれないが、私にとってはそれが最も充実した時間である。静かに自分を感じている時間。するとときどき、その感覚がふっと言葉となって湧いてくるときがある。それを書き留めると、エッセイになったり日記になったりする。

そんな文章は、自分で何度読み返しても面白い。

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